2010年10月20日水曜日

認識力の養成

 ここの所、腑に落ちないようなことが多々あります。間違いは間違いであって正解ではない。知らなかったことを知れば、勘違いであったことがわかれば訂正することは当然であります。知っているのに知らなかったふりはないでしょうね。

全般的に知識のみに重点を置いているような現状でいいのかと思わずにはいられません。行政は、頭脳がいくらよかったとしても、市民の思いと全く違う結論になるとしたら、それは、認識力が足りないのか、住民の意見を聞く耳をもっていないか、それとも問題が何であるかさえわからないのか もっとあるんでしょうか。

どんなに、勉強をして、知識内容量を多くしても「頭でっかち」にすぎませんね。
知識にも正しいもの、正しくないものもあるだろうし、心の持つ認識力というものが優れないと困ると思うんです。ましてや、ある意味、住民の命を預かる行政や政治の世界。認識を誤ると、住民に多大な影響をもたらしてしまいます。大事なのは、市民感覚やと思うんやけどな。現状の法と市民感覚から「おかしいよ」と思えることは、法を改正すべきことをまず考えるべきと思います。

住民を幸せにするか、不幸にするか。今一度、「認識力」というものに注意を払う必要があるのではないかと思います。知識の力だけで幸せになるんだろうか?もっと大事なことがあるんやないやろうか?

胸に手を当てて心臓の鼓動を感じながらこの決断に間違いがないか、心にも問うことも必要ですね。


追伸:ちょっとお酒が入っているのでおかしな文章をお許しくださいませ。

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