今日は、亡父の25回忌法要を観音寺本堂にで執り行ないました。亡くなった時、私が26才でしたから、右も左もわからんかった気がしますね。当時のことを思い出しながら、手を合わせ、お守りくださるようお願いしました。
だんだんと年を重ねてきて、おやじの気持ちもわかるようになってきたと思います。当時は気持ちを考える余裕もなく、お金の使い方、仕事の仕方等ではよく激しく衝突しました。その底辺には、「何で俺が跡継ぎせなあかんのや」って反発があったんでしょうね。覚悟を決めていなかったというか、まだまだフラフラしていたんでしょうね。「覚悟を決めいよ」という思いからやったんか、周囲の親族から、喪主に指名されたことは驚きでした。(私は男4人の末っ子)よっぽど、覚悟を決めていない自分の姿があり、心配をかけたことからだろうと思います。
いつも関心するのですが、仏さんは50年ということで、余程のことがないと子どもだけの世代だけでは完結できません。孫の世代にしっかりとバトンタッチをしていく必要があり、常に「つながり」を意識するというか、改めて「自分だけ」でないことを気づかされます。
父がいて、母がいて、自分があり、そして子どもがいる。その奇跡に感謝します。
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